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【映画感想】 サイコパス 劇場版

サイコパス2の放送が終わり、その興奮が冷めぬ内(公開日翌日)に劇場版を観に行ってきました。
という事で、今回はその感想を書いていこうと思います。

ネタバレ要素を含みますので、何の情報も仕入れない状態で作品を見たいという方は、読まないことをお勧めします。



今回のサイコパス 劇場版ですが、地上波アニメの続きの設定となっています。
しかし、冒頭部分に地上波部分の総集編等を入れていない為、サイコパス無印・2を観ていない方にとっては、理解そのものが難しい作品です。
興味は有るが地上波アニメは観ていないという方は、予習をしてから観ることをお勧めします。

1作目のサイコパスは、システムが国を完全に支配している世界。
物語の中心となるシビュラシステムは、サイマティックスキャンにより読み取った生体力場を解析し、人間の心理状態や職業適性や深層心理などを分析数値化します。
職業適性によって自分にあっている職業が、正確の分析によって恋人・配偶者が割り当てられます。
この世界では、割り当てられた選択肢の中から選ぶ自由しか与えられません。

また、人間の心理状態を計測して数値化し、それを元に犯罪係数を測定することにより、将来犯罪を犯す可能性のある人格を特定します。
犯罪係数が高く、潜在犯認定されら人間は、犯罪の有無にかかわらず数値によって裁かれます。

システムから不要と弾かれた人間にとっては辛いが、最大人数である普通の人に分類される人にとっては、何も考えずに暮らせる限りなく幸福に近い世界。
そんな最大幸福を求める完全管理者回の中で、排除される側やその人物にに接する人達の葛藤を描いた作品。


サイコパス 2は、そのシステムそのものへの問題提起。
最大幸福を実現する為に必要な才能を良・善とし、それを脅かす物を悪と定義した場合。
個々の存在としては良とされる存在が、個が集まって集団となった時にその評価は変わらないのか。
善悪の基準は相対的なもので、観測者によって変化する可能性は?
そもそも論として、システムを担う存在は、第三者から見て善なのか悪なのか。


そして今回の劇場版でのテーマですが、私が読み取れたテーマは3つ
・最大幸福を追求するシステムと宗教の類似性
・相対的価値観である幸福という概念の他人への押し付け
・人はそこまで強くない
でしょうか。
複雑な内容の為、文字にすると陳腐な感じになってしまいますが、メッセージ性が強い作品でした。


この物語は、日本が東南アジアに平和の輸出、つまりシビュラシステム自体を海外に提供するところから始まります。
シビュラシステムの導入が進む中、それに反対する勢力の一部が日本に武装した状態で密入国。
テロ行為を起こそうしたところを公安に阻止され、捕まえたテロリストの記憶を映像化した所、元公安の【狡噛】が関与している事が発覚。
この事実を知った常守 朱は、真相を確かめるために単独で東南アジアへ渡る。

といったところから始まります。
この舞台となっている世界では、シビュラシステムを導入している日本のみが安全で、その他の国では紛争が絶えない世界となっています。
システムの輸出先となっている国も例外ではなく、実験的にシステムを導入している一部地域のみが安全を確保され、それ以外の地域では、いつ殺されてもおかしくない世界。

ではシビュラシステムの導入が良いことなのか。
システムを導入した地域内では、犯罪係数によって生き方を強制させられる世界になってしまいます。
具体的には、犯罪係数の高く潜在犯と認定された人間は、奴隷・家畜といった具合に扱われてしまう。
その一方で、サイコパス指数をクリアに保てる人間だけが天国のような暮らしが出来ます。

生き方、死に方を自分自身で決定するのか、それともシステムという名の神に全てを委ねるのか。
それともシステムに抗い、自分自身の頭で考え、先の見通せない世界で成功するか失敗するかわからない選択肢を自分で選んで生きていくのか。

この構図。
神の管理下で何も考えずに生きていれば楽園で暮らせるが、知恵の実を食べて自分で考える能力を持った為に楽園を追放された神話に似てますよね。

選択肢というのは、数ある中から正解を選ぶ行為です。
成功すると分かっている選択肢しか提示されないのか、失敗するかもしれない選択肢の中から生き方を選ぶのか。
どちらが良いのかというのに答えはありません。
強いて言えば、失敗を受け入れる覚悟・精神力が有る人間だけが、失敗を含めた選択肢の中から選ぶ自由があります。

つまり自由とは、力がある人間だけに許された特権という事です。

同じSFジャンルの漫画【銃夢】という作品には、こんな台詞があります。
『力がある人間だけに許される。
(弱い)俺が欲しいのは、犬の首輪なんだよ』
私が長々と書いた長文を一言で表す、素晴らしいセリフですね。


多くの人が、自由というものは無条件で素晴らしいと誤解しています。
しかし実際は、自由に選んだ選択肢が間違っていた場合、その結果を受け入れて責任を取らなければならない義務が有ります。
その一方で、システムによって選択肢を規制され、自由な意志で選ぶ権利を剥奪された社会では、そのシステムが提供するサービスを享受でき、システムに従っている限りにおいて責任は無くなるんですね。

自分にとってどちらの生き方が良いのか。
この作品は、それを考える機会になると思うので、お時間が有る方は観てみて下さい。
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