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ゲージュツの境界 後編

今回の投稿はは前回の続きですので、まだ読まれていない方は、そちらからお読み下さい。
ゲージュツの境界 前編

前回を簡単に振り返ると、主に絵画などで【芸術】という大きな枠で括られていた得体の知れないものを、【芸術】と【美術】の2つに分け、その内の美術についての持論を書いていきました。
今回は、芸術に焦点を絞って書いていきます。
美術が美を理論的に追求する一方で、芸術はどうでしょう。
芸術は、必ずしも過去の技術を使用したり、それを発展させるている作品ばかりではありません。
批判を覚悟で書くと、歴史を踏まえず、思いつきで作ったものでも、認められれば芸術品です。

また芸術品は、機能美やバランスよりも、感情に訴えかける様なものが重要視される事も少なくありません。。
作者が持つイメージを作品に投影させる為、その作品の背景などの他の情報を知って補完しなければ、意味がわからないものも多々あります。

時には、芸術品そのものよりも、その物体の背景にあるストーリーの方が重要だったりもします。
作者の思想が、受け手によって伝わる場合とそうでない場合が存在する。
作品単体だけでは理解が難しく、その作品が生まれる事になった前提条件も知らなければならない。
これって、文系的なアプローチですよね。

そして芸術品は文系的であるが故に、近代芸術というものが理解し辛いものとなっていると思われます。
というのも、作品そのものよりも背景にある物語が重要ということは、逆に言えば物語さえ付ければ、どんな物も芸術品となるわけです。


では、何故このようになってしまったのか。
理由は数多く有るとは思いますが、わかり易い例が、レディ・メイド(Ready-made)でしょう。
マルセル・デュシャンという人が、工場で作られた既成品の便器等に自分のサインをして、芸術品として出品しました。
芸術品として出された意味合いとしては、芸術は職人の手による一品物であるという概念の破壊という、今までの芸術という概念そのものに対するカウンター。
この理屈を聞くと、フムフムと納得してしまいそうになりますが、やっていることは、そこら辺で購入してきたものにサインをしているだけです。

つまり、美術が新たな技術・理論によって表現の幅が広がり、結果として固定概念を覆そうをしているのに対し、芸術は、品物に固定概念を覆す為の物語を付け加えている考えられます。
もし、これが認められるのであれば、あらゆるものが芸術として認められることになります。

固定概念を覆すというのは、何も画期的な発明や発想を必要とするものだけではありません。
常識と思われていたことをブチ壊す。
誰もやろうとも思わなかった事をやる。
誰にも理解できない事をやる。

こうなってくると、定義自体がかなり曖昧になってきます。
ガラクタであっても、付属している物語の完成度やプレゼン能力によって、芸術界の重鎮たちや資産家を口説き落とせば、芸術が完成してしまう。
逆に作品のクオリティーが高くても、プレゼン能力が低ければ、芸術として認められにくい。
当然、この状況を利用してくる人も出てきます。

自分の思想・哲学を普及させる為に。
そんなに注目を浴びていない問題を、大衆の目に晒すために。
崇高な理由など無く、単にお金を稼ぐ為に。

様々な理由で過激な作品を用意し、その作品に自分の主張を物語として加えて発表する。
その作品が過激であれば有るほど世間からの注目を集めることが出来、一度認められれば、事を自分の思惑通りにを運びやすく成る。
仮に芸術品に祀り上げる事に失敗したとしても、一度注目を浴びている為、意見は聴いてもらいやすく成る。
自分の思想を広める為に、地道に啓蒙活動をするよりも遥かに注目を集めやすい為、芸術家と称する思想家がドンドン流入した結果が、現状ではないでしょうか。


この様な現状で、芸術という分野を振り返ると、根本的な考え方が違う人達が存在することが分かります。
過去の歴史を学び、様々な考え・技術・哲学を踏まえた上でパラダイムシフトを起こそうと試行錯誤して作品を作る人がいる一方で、自分の意見を通したい為に、取り敢えず作品を用意する人達。
様々な人達の作品が渾然一体となっているのが、芸術と呼ばれる分野なのでしょう。

日本には、会田誠という芸術家がおられます。
この方の作品の中に、デモの写真があります。
写真を取るだけのデモなので、主張も『アメリカ人はもっと、解りやすく発音しろ!』といった、ふざけたものですが、主張自体が芸術に成りうるという今の芸術を1枚の写真で上手く表していますよね。


これを踏まえて、美術・芸術という物をもう一度考えてましょう。
色彩・バランス・技法等の科学的アプローチを主に使う表現方法は、近代では芸術から抜け出し、【デザイン】と名を変えたのではないでしょうか。
デザインは、見た目の美しさ・機能美・主張等を上手い具合に取り入れ、尚且つ人に選ばれる物を作らなければなりません。
過激すぎる主張や難解な表現は抑えられ、出来るだけ解りやすく、且つ、美しく機能的に設計されます。

一方で、デザインの枠に入りきらない主張メインの作品は、芸術という分野に居座り続ける。
その難解な近代芸術と、大昔から近代までに制作された美術品が一緒くたにされたのが、芸術というカテゴリーなのではないでしょうか。
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