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幸福とは何なんだろうか 後編

今回の前回の投稿の続きなので、読まれていない方は、そちらから読んで頂けると幸いです。
幸福とは何なんだろうか 前編

前回の投稿を簡単にまとめると、幸福とは相対的なものなので、比べるものが多い程、現状の不満が浮き彫りになってしまうってことですね。

今回は少し違うアプローチをした後、本来あるべき社会について考えます。
先日紹介した映画、【楽園追放】でも、幸福と自由という違いは有りますが、似たような議論が有りました。
簡単に紹介しますと、楽園追放の世界では身体を持った普通の人間以外に、脳の情報をデータ化して2次元に住む人間が出てきます。
データ化された人間は、食欲・性欲・睡眠欲という三大欲求から開放され、人体では知ることが出来ない程の高度な情報に接する事が可能となります。
しかしその道は、、全ての人間に開放されているわけではありません。
メモリーにも限界が有る為、処理能力の限界から個人のメモリーの所有には制限が有り、追加でメモリーを得る為には自分が社会にとって有能であることを示さなければならない。
つまり、有能な人間にしか可能性は開かれておらず、2次元に住む住人は、己の有能さを示す為に様々な労働を強いられます。

しかしそこに住む当人達は、メモリーの所有は素晴らしいものあり、物質的制限から開放された環境は楽園であり、自分達は自由だと主張します。
でもよく考えると、メモリー取得の為に大半の労力が搾取される為、自由とは程遠い存在なんですよね。

この自由を幸福に置き換えると、先程の話と同じ様になりますよね。

幸福とは相対的なものでしか無いので、自分が幸福だと思い込んでいるものが他人にとっても幸福だとは限らない。
資本主義の世界に住み、発達した文明を享受してきた私達にとっては、お金を手に入れて思い通りの生活を送る事が幸せだと思いがちです。
しかしその価値観を、他の世界に住む人達が受け入れるかどうかは別問題ですよね。

例えば、自然とともに原始的な暮らしをしている人達がいたとします。
私達の価値観で学校を作り、産業を起こし、近代化させる事は良いことのように感じます。
しかしそれは私達の価値観による幸福で、その人達にとっての幸福とは限らない。

幸福と不幸は裏表の一つの存在。
そして幸福とは相対的な価値観なので、様々なことを知ることで自身の暮らしが相対化され、様々な価値観を知ると同時に、自分達が不幸だということを認識してしまう可能性も大きいという事。
幸せの青い鳥は自分のすぐ近くにいるのに、世界が広いと知ってしまったが為に見失い、外に探しに行きたい衝動に駆られる。

随分長くなってしまいましたが、この投稿を通して結局何を主張したいかというと。
何も考えずに、自分の価値観を他人に押し付けるなってことです。
幸福が相対的なものであるなら、多くの人が幸福だと感じられる社会は、選択肢が多い社会のはずです。
他人の為に働くことで充実感を得て幸福感を感じる人もいれば、それ以外に生きがいを見つける人も居る。

しかし今の社会は、【全ての人が感じる一つの幸福感】という、あり得ない得ないものの共有を強制することで、選択肢を限定しているように思えて仕方ありません。
重要なのは、自分にあった選択肢を選んで進むことだと思います。
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