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幸福とは何なんだろうか 前編

正月。
暇で時間が有ったということも合って、録り溜めていたのに観ていなかった哲学系の講義番組を観ていました。
その際、幸福について考える機会が合ったので、今回は幸福について考えましたす。
最初に結論だけをいうと、幸福とは相対的なものでしか無いので、固定的な概念では無いということ。

その辺りについて、解説も踏まえて書いていきます。
その番組では昔、フランスがタヒチに遠征した際に原住民が幸せそうだったという所から、幸福の価値観についての話題が出ました。
フランスの方が先進的で、世界中を航海出来る技術を持ち、色んな物を理解できる知識を持っている。
その一方で、現地から出ずに外の世界も知らない、自分達の価値観の中だけで生きているタヒチの人間が、何故幸せそうなのか。

この問いかけに対し、間を置かずに一人の学生が挙手して意見をいいました。
航海をして色んな価値観を知っているフランス人が幸福を感じず、国から出たことがないタヒチの人間が幸福という事は、多くの価値観を知る事が幸福に繋がるわけではなく、限定された価値観だからこそ生まれたのではないかと。

これって、価値観によって意見が別れるとは思うんですが、かなり鋭い指摘ですよね。
多くの知識を持つフランス人は幸福を相対的に観てしまう為、今置かれている立場が幸福だとは思えない。
何故なら、自分以上に幸福そうな物を数多く観ているわけだから、相対的に観て自分は幸福とは呼べないわけです。
その様な様々な価値観を知るフランス人の目には、その日その日を楽しむ為に暮らしているタヒチの人は幸福に映ったのでしょう。

しかし、比べる対象がないタヒチの人から観れば、今置かれている現状しか無く、比べるものがそもそもない。
相対的な幸福というものは存在せず、自分がやりたいと思っている事をただやっているだけに過ぎない。
幸福という概念がない代わりに、不幸だという概念も存在しないわけです。
表現を変えれば、隣の芝が青く見えるのは隣に芝生があるからで、そもそも周りに何もなければ、そんな感情そのものが湧いて出てこないわけです。

つまり幸福というのは、相対的なものでしか無いわけですね。


私はこの話と似たような話を、ラジオ日経で聴いたことが有ります。

ある実業家が、寝る間も惜しんで身を粉にして働いていました。
彼の期近の目標はバカンスまでに仕事を終え、休みを利用して眺めが良い海辺に行き、のんびりと釣りを楽しむことでした。
そのバカンスの為に1年間ほぼ休まずに働き続ける。
それを聴いたギリシャ人がこう言いました。
『私は現在無職で金が無いから、毎日の様にエーゲ海で遺跡を見ながら釣りをしてるよ。』
果たしてどちらが幸福なのか?

資本主義という、一度導入されると競争し続けなければならない社会で暮らす人は、釣をする為に働かなくてはなりません。
この社会で働く人の最優先課題は、好きな事をする為に金と時間を作ることで、金を効率よく得る為に行動し続けることを強制されます。
ですが、資本主義という思想は人が後から創ったものなので、本来はそれに縛られる必要性はありません。
釣りをしたいのであれば、今日食べ為に魚を釣る自由があって然るべきです。
しかし資本主義社会では、この様な暮らしは受け入れられません。

少し長くなりそうなので、つづきはまた次回の投稿で。
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