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グレンラガンでみる宗教

最近Podcastを聞き出したことでで、宗教についての意見を聞く事が多くなってきました。
という事で、今回はそれらの意見を聴いた上で、私の宗教に対する考え方等を書いていきます。

じゃぁ、宗教は無くて良いのかという話になるのですが、個人的には、それはそれで違うような気もします。

例えば、タイトルにも書いているグレンラガンというアニメの中に、宗教が出てきます。
グレンラガンの世界観を知らない人の為に少しだけ解説しますと、グレンラガンは複数の章に分かれているのですが、一番最初の章で人類は、穴ぐらの中に暮らしています。
というのも、この世界では人間が地上に出ると、顔型ロボット(ガンメン)に乗った獣人達によって殺されてしまう為、人間達は地下に閉じ込められた状態で暮らしているのです。
その地下暮らしが長いせいか、人は地下に押し込められた事を忘れ、地上という存在そのものを忘れて地下で貧しい暮らしをしているのですが、その状態に耐えられなかった主人公の兄貴分が主人公を連れ出し、地上に出るところから物語が始まります。
主人公達は地上に出て、冒険し、様々な地域の地下の集落に暮らす人間と会うのですが、その中の一つに、敵が使用する巨大ロボ(ガンメン)を神と崇める宗教を信じている人達がいます。
その集落の人達は、村の人数が一定数を超えると、くじ引きをして、当たりが出たものが神に選ばれたものとして、地上に出されます。

この行為は、旅をしてきた主人公たちにとっては、全く非科学的であり、何の根拠もありません。
崇めている神は、多くの人類を殺してきた敵の獣人が乗っている巨大ロボですし、地上に出ればその者達によって殺されます。
旅をしてきて、真実を知る主人公たちの目には、この集落の人達の宗教は単に人を殺すだけの存在でしかありません。

そこで主人公たちは、その宗教が間違っていることを説きます。
しかし、村の人達からしてみると、宗教を信じていないと救われない状況に自分たちが追い込まれている状態であることを訴えます。
というのも、地下で暮らすということは、太陽の恵みが得られない為、農耕を行って安定した食料を手に入れることが出来ません。
その為、村の食料は限定されているのですが、村の人数が安定して推移するわけではありません。
そこで村の人達は、村の人数に上限を設け、その人数を超えてしまった場合、超えた人数を地上に送り出す。
この行為により、村が存続できる状態を維持していたわけです。
もちろん、くじ引き自体も八百長で、村人にとって居なくなってもダメージがより少ないものが選ばれます。
今回のケースでいえば、家族から誰かを引き剥がすということはせず、孤児で親族がいない2人の子供が選ばれています。

この村人たちも、いたずらに命を奪っているわけではなく、少数の命を奪わなければ村そのものが全滅してしまうという危機感からこの行動をとっていて、その行為を正当化するために宗教にすがっている。
おそらく、この村人達に、現状を根本から解決する力が有れば、この様な決断は下さなくても良かったわけです。

主人公達は、結局より良い対案を提案することが出来ず、結局生贄として地上に出される少年少女2人と共に村を離れる事になります。

ここからは、このエピソードを観た私の勝手な解釈なのですが、神を否定することは簡単ですし、正論を述べることも出来るのですが、それを受け入れられるのは、強い人間だけなんだと思います。
というのも、この村人達が行っている行為は、より多くの人が生き延びる為に、一部の人間を間引いて殺してしまおうとする行為なのですが、普通の精神や道徳を持った人間には、その事実を受け入れることは難しいと思うんです。
その行為そのものを、【神のもとへ向う】という行為にすり替える事で、自分たちの行為を正当化する。
つまり、【神】という人間以外の対象を作り出し、都合の良い部分をその対象に押し付けることで、心の均衡を保つという選択肢もあって良いのかなと。

例えば、自分の身内が死んだとします。
仏教でもキリスト教でも良いのですが、死亡してから埋葬するまで、各宗教によって一定の儀式を行います。
これらの行動も、科学的には何の意味もないわけですが、身内が亡くなった後の亡骸を、ただに肉塊としてゴミとして処理できる人間は、結構少ないと思います。
しかし、宗教の儀式を通して火葬を行い、埋葬するという行為で、自分を納得させようとする。
結果としては、燃やして埋めているだけなのですが、儀式を通過させることで、その行為そのものを正当化するという行為そのものは、否定されるものでもないのかなと思いますし、見方によっては救済されているとも言えなくはない。

ただ、この考え方はそのものは、実は危険な発想で、拡大解釈することで、人を不幸にもさせてしまいます。
最初の例でいうと、神の名のもとに、人殺しすら正当化されるということは、罪悪感無しに侵略戦争を行なうことも可能となります。
これは極端な例ではなく、実際に宗教を利用して、他部族に攻めこむケースは、歴史を振り返れば数多く存在します。

ただこれは、宗教のどんな出来事も、神の名のもとに正当化されてしまうという能力と、その時代時代の政治権力とが結びついているから起こった。
つまり、信仰が利用されたという見方もできるのかなと。

という事で結論ですが、現状を変えようとしない、買えることが出来ない力のない人が心の均衡を保つ為に、人以外の超越的な存在を創りだして進行すること自体は、しかたがないのかなと思いますし、否定するものでもないのかなと思います。
しかし、それを利用して権力を創りだすのは、個人的には反対かなと。
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