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ゴーストの行方 1

最近、また、魂の在処について考え考え始めてしまいました。
きっかけとなったのは、先日観た攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIGの15話【機械たちの午後】での議論を聞いてです。
いろいろ考えた結果、答えは出なかったわけですが、取りあえずの結論から書きますと、人という個体には魂は宿っておらず、外側に存在しているのではないかと思います。


まず、考える切っ掛けとなった【機械たちの午後】の議論について、簡単に書いていきます。
この議論は、【個別の11人】という事件について調べることから始まります。
この先はネタバレになるので、アニメに興味がある人は読み飛ばして下さい。
【個別の11人】は、ある特定の情報を同時に取得することで発症する思想プログラムで、これに感染すると、革命的行為を行った後に自決してしまいます。
簡単に言うと、情報操作によるマインド・コントロールをより合理的に行なうための情報プログラムによるテロ犯罪ですね。
一見するとアニメの中だけの話のようにも思えますが、アラブの春等はfacebookを利用した情報操作によって革命が起こっているため、全くのファンタジーというわけでは有りません。

この事件解決のために、【個別の11人プログラム】の感染者の共通点を調べた所、その一つに個別主義者であることが分かり、じゃぁ個別主義者についてどう思うかという議論になります。
その個別主義者を観察してみると、個性を重要視している割には没個性化している。
その原因は、個別主義者達は、各自それぞれが持つ小さな差異は重要視して尊重するが、自分たち思想を根本から覆すような思想に対しては団結して排斥する傾向に有り、結果として、僅かな差異有るが似たような考えを持つ人たちの間でイメージが共有化され、結果として没個性化した集団が出来上がる。
そしてイメージそのものに行動が制約され、結果として同じ行動をとってしまう。
という感じです。

ここで重要なのが、共有されたイメージに行動が制約され、自由な行動が取れないのであれば、そもそも個人としての【人】に自由意思である魂は宿っているのかという点です。
精神と肉体は不可分で、魂は一人一つあると考えている人が多いですが、このイメージに因る行動の成約は、この考えそのものを根本から覆します。
というのも、人に自由意志が有り、自由な魂を持っているのであれば、何者にも縛られない自由な意志によって行動を選択できるはずです。
しかし実際にはそうはなっておらず、各個人が持つ意識よりも上位の者によって行動が制限されているので、本当に決定権を持つのは意識よりも上位の存在であり、【個人】のもつ意思ではないのです。

例を出すと、仕事の上司・友達・後輩・先輩、人は、それぞれの関係性において行動を変えます。
これを意識的に変えているのであれば、人は自由意志を持ち、何者にも縛られない存在で在ることが出来るのですが、必ずしもそうではないはずです。
私自身もそうですが、これを読んでいる貴方も、特定の人や雰囲気を前にして、『本当はこういう態度を取りたいのに、何故かあの人の前に立つと、思っている行動と違った行動をとってしまう。』といった経験はないでしょうか。
私は有ります。
この様なとき、今までは、本能から来る恥ずかしさや恐怖等の感情によって行動が制限されていると思っていました。
しかし、この考えは間違っているのではないかと思っていた所、この【機械たちの午後】の議論を聞いて、やはりそうなんだと思いました。

そう思うきっかけとなった部分は、【地球生命圏】と【ホロン型構造】という部分。
これらは元となった理論を読んでいないので、間違って理解しているかもしれないが、おそらく、地球そのものが大きな生命体の一つで、個別に存在している生物はそれぞれが個別で存在しながら全体としての性質を持つ。
人に例えると器官や細胞といったもので、個別としての機能は持つが、個別で存在しているのではなく全体として存在しているという感じです。

書いている僕自身も読んでいて分かりづらいので、読んでくださっている方は理解し辛いことと思います。
身近な生物で例えると、【蟻】という生物で考えるとわかりやすいですね。
蟻は、個として生物として存在しているように思えますが、研究者によっては、群れで一つの生命だと考えた方が生物として捉えやすいようです。
というのも、蟻は各自が繁殖出来るわけではなく、産卵は女王蟻のみに頼っていますので、生物としては不完全だと考えられます。
しかし、この女王蟻を子宮と考え、働き蟻を手足と考えれば、すべての機能が揃う生物が完成するというわけです。

地球生命圏という考えは、これを地球規模に拡大解釈したものなのでしょう。
しかしこの理論は、突き詰めると悲しい現実に突き当たるような気がします。
というのも、地球がひとつの生命体であり、個々の生物が器官で在るのであれば、魂は地球という一つの生命に宿っているのであり、その器官には魂が宿っていないとも考えられるからです。

個人的には、人間に魂が宿っていないとは考え辛い…というより、考えたくない。
では魂は何処に宿るのか。

長くなってきたので、続きはまた次回にでも。
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