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人の幸せは、数値化出来るのだろうか。

日経新聞の記事
先日、OECDから世界幸福度ランキングなるものが発表されたようです。
テレビのワイドショーなどでの取り上げられ、上位国はどのような国かや、日本の順位が低いなどと言っていましたが・・・
このランキングって、どれほどの意味があるのかが、僕には分からない。

というのも、そもそも幸せか不幸かなんていうのは、しっかりとした定義がるわけではないし、人それぞれが勝手に感じるものであるし、相対的なもの?のはず。
【幸せ】【不幸せ】なんていうものは、単独では存在しない。
一つのものの裏表であるわけで、幸せがなければ不幸せも無い。

どんなに恵まれたところに生まれようとも、自分が恵まれている人に比べて不幸だと思い込めば不幸になるし
どれだけ貧しい国に生まれたとしても、自分は幸せだと感じれるのであれば幸せだ。

上でも書いたが、幸せ・不幸せというものは、【他人と比べて】幸せか不幸せかという事なので、格差が大きければ【自分は恵まれていない】という人は多くなりがちになるのではないだろうか?
逆に言えば、国民全ての所得が均一化している場合、所得や暮らしぶりでは差が生まれなくなるので、不幸せだという人も少なくなるような気がする。
一国内だけで所得が均一でも、他国と比べて云々という事もあるだろうが、しかしこの場合は、国が貧しすぎて、海外情報を簡単に手に入れられない場合などは、比べる対象となる情報を入手できないので、不幸せだという人も減る可能性がありますよね。

また、住んでいる地域や人種による価値観の違いというものも有りますよね。
一日8時間きっちり働いて、自分のほしい物を購入することが幸せだと思っている人種もいれば
一日8時間も拘束されるぐらいなら、生活水準が下がったとしても、のんびり暮らしたいと思う人種もいるだろう。

何が言いたいのかといいますと
恵まれていることと幸せと感じることとは全くの別問題だということです。
幸福度ランキングを上げることが、そのまま国民の幸せになるとは限らないのではないでしょうか。

また個人的には、恵まれていないと感じている人が多いということは、その国が今後発展する可能性が高くなるように思えます。
人が何故頑張るのかというと、大抵の場合は【幸せになる為に、現状を変えたい】という気持ちが。頑張って新技術などを開発などの原動力になる可能性がゼロではないと思うからです。
といても、進んだ文明で生きることが幸せかどうかは、個人の価値観によるんですけども。
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