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橋本知事 国歌斉唱時に起立しない教員の処分条例を9月議会に提案

先日橋下知事が、入学式や卒業式の国歌斉唱時に起立しない教員の処分条例を9月議会に提案する方針を発表した。
国歌斉唱時に起立しない教員の処分条例を9月議会に提案
ニュース番組では、従わない人間を懲戒処分に出来るようにしたいとも言っていた。
個人的に思うのが、なぜこんな当たり前の事を、わざわざ条例にしなければならないのか。

街頭インタビューでの意見の中には、『先生の考えと一致しないのであれば、無理に従わせるのは…』
といったふざけた意見をいう人もいたが、自分の信念を通したいのであれば、そのような学校を辞めればよいだけだ。
決まっているものに従いたくないのであれば、単純に辞めればいいし、最初からその学校に就職しなければよい。
自分の考えと合う学校に就職すればいいし、なければスポンサーと同士を集めて、学校を作ればよい。

組織に入ったからには、組織の決めたことに従うのが当然だ。
それを、『その組織には入りたいけど、その組織が勝手に決めたことには従わない』というのは、わがまま以外何者でもない。

そもそも教育者は、生徒の前で見本を見せなければならない立場の人間だ。
その立場にあるものが、『自分と意見が違うから従わない。』と自分の意見を押し通すのであれば、生徒はその教師の言う事を聞くだろうか?
例えば、茶髪禁止の高校があったとする。
その高校に入学してきて、入学初日に茶髪にして入学すれば、確実に注意されるだろう。
しかし生徒が、『学校の考え方と自分の考え方は違う。 自分はしたいようにする。』といえばどうだろうか?
先生は、何らかの処分をちらつかせて茶髪を止めさせようとするのではないだろうか。
生徒の『なんで茶髪が駄目なのか?』という質問に対しては、『校則で決まっている。』というのではないだろうか。

そういう事をいう、もしくは言わなければならない立場の人間が
『自分がしたくないからヤラナイ』とわがままを言えば、生徒はその教師の言う事を聞かないだろう。
なぜなら、先生の注意に対し『先生も学校の方針を無視して、自分の思い通りの行動をとっているでしょう?』と切り替えされれば、簡単に論破されてしまうからだ。

そもそも、権利の裏側には義務が存在し、権限の裏側には責任が存在する。
教育者の権限で生徒の行動を制限しようとする人間には、当然のことながら教育者としての責任が伴う。
このことを無視して、権利と権限のみを手に入れることは不可能だ。
入学式や卒業式という重要なセレモニーで、ひとつの儀式を無視するという行為をしている教師は、それを理解して上で行動をとっているのかが疑問だ。
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